2012年3月10日土曜日

♪ダーク・ワズ・ザ・ナイト

ブラインド・ウィリー・ジョンソン(Blind Willie Johnson)のCDを聞き続け、もしやと思い出し、出版後まもなく読んでいたウェルズ恵子氏の『黒人霊歌は生きている―歌詞で読むアメリカ』(2008年)に、ブラインド・ウィリーの章立てを再発見する。「喪失の痛みを抱いて、ブルーズへ」の章で、ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)と2分した論説が記されている。
「ゴスペルの父」トーマス・A・ドーシー(Thomas A. Dorsey)と同時代を生きた、ブラインド・ウィリー。ニグロ・スピリチュアルからゴスペルへの接続と昇華、その関連性と区分(?)に興味が増していただけに、ブラインド・ウィリーの立ち位置と独自性に誘引される。学識者ならではの知見からウェルズ氏は、示唆に富む解説と論考を提示してくれている。「B・W・ジョンソンの歌のほとんどが、オリジナル曲ではなく、一部がメソジスト派の讃美歌で、ほかの多くは当時のストリートシンガーたちも歌っていた民間聖歌だったようだ」との指摘には、もっと詳しく知りたいと思わざるを得ない気持ちもあるが。
ヴィム・ヴェンダース監督「ソウル・オブ・マン」(2003年)でも、「ダーク・ワズ・ザ・ナイト」が地球外知的生命体に向けたメッセージ楽曲の一つに選ばれて、その音源が宇宙に放たれた件が紹介されていたが、ウェルズ氏は、そのハミング歌唱の意味に言及している。元歌はあれども、自身が投影された唯一無二の歌詞世界が、パフォーマンスのベースとなっている。
「ソウル・オブ・マン」のサントラも聞いてきたが、ブラインド・ウィリーへの向き合い方が足りなかった。ウェルズ氏の論述の意味もやっと、少々分かってきた、このごろである。

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