2011年12月14日水曜日

李香蘭と山口淑子の記憶

李香蘭、平成の世もこのくらいになると、この名前に反応できる人は至極限らてきているようだ。1990年代に劇団四季がミュージカル「李香蘭」を制作したのはつなぎとなっているのだろうか。最もこのミュ―ジカルは終戦まで、山口淑子の「李香蘭」時代を描いたもので、昭和の中後半の記憶は薄れてしまうのではとの危惧がもたげる。
映画好きの関心事としては、李香蘭時代に満洲映画協会の甘粕正彦、中華電影股份有限公司の川喜多長政をはじめとした現地で仕事をともにしたの日中映画人に関する当人の発言、いわゆる「歴史認識」を深める上での考えてみるべきな当時の日中の間での役回り、諜報工作を担った川島芳子(金璧輝)や将校・山家亨らとの交流に関する告白に興味が尽きないものがある。あるいは、文人・田村泰次郎との交流など。
戦後は、日本映画界への復帰、香港やハリウッド、あるいは、ブロードウェイを目指すといった活動やTVキャスター、国会議員としてなど話題はつきない。自伝によると、クライマックスはやはり、少女時代に中国北部で知り合い、上海の「漢奸裁判」にて命の恩人の働きをしたユダヤ系ロシア人、リゥバ・モノソファ・グリーネッツ(戦後、ボルシェビキとして活動)との50年を超えての再会だろう。TVドラマ化も何度かあったように記憶しているが、戦後については薄い。国産の映画にはならいのかと、不思議に思っている。

◆追記◆
♪何日君再来(2011/12/13)
〈イツノヒカキミカエル〉(2011/12/15)
《李香蘭と原節子》(012/06/21)

◆訃報◆
2014年9月14日、7日午前に亡くなられていたことが報道される。94歳。朝日新聞の慰安婦報道+αで記事取り消しと謝罪を巡る話題が沸騰する最中。戦後世代としては慰安婦問題をはじめ、時代を生き抜いた人として歩みと発言を思い起こし心にとどめねば。

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